畏敬の念について by じゅんか
このごろ「畏敬の念」についてよく考えます。
シュタイナー教育の教師向けの瞑想法で、教え子の姿かたちを思い浮かべる....ってあると思うのです。
必ずしも全体像でなくても、手のかたちや 脚のうごき、立ち方....いろいろですが、とにかく 『姿かたちを すぐそこにあるように思い浮かべる....』というのは よくよく見ていなければ思い浮ばないと思うのです。
「畏敬の念をもって見る」それは 簡単なようで、簡単ではありませんね、
「その子がどう言った」「自分の印象ではこんな子だ」とかいう先入観ではなくて、その子の姿はその子の姿で、それ以外の何物でもありません。
「すべてのものに対し、畏敬の念をもつ」できるようになったらいいな、と思います。
ちょっと前に幼児向けの「人形劇」についてチラッと書きました。
シュタイナー幼稚園の「人形劇」は普通の子供向けのものと少し違います。
「語り手は感情をこめず、淡々と語る」
「人形を動かすときは できるかぎりゆっくりと動かす」
なんですね。私は幼児教育者タイン・チェリーさんの『幼児教育における「人形劇」(puppet show)』講座を受けましたが、「これは練習がいる」と深く深く実感しました。
人形劇の演じ手は 見ている子どもたちに 自分自身を捧げつくすのだと述べておられました。(勘違いだったらすみません)
私のうっすらとした記憶の中で『self-sacrifice』と書かれた板書を指差しつつ 講義をするタインさんの姿が思い出されます。
実際に 人形劇の練習をしたり、家で人形劇をしたりすると、ものすごく集中力がいります。
一般的な幼児番組のように、大げさな話し方の方がずっとずっと簡単ですが、それをすると台無しです。
感情をこめないで 淡々と、できるだけゆっくり人形を動かし、なるべく美しく置く.....。それだけです....。
「全身全霊集中」した時には 子どもたちの顔色は変わりました。
集中できないときは.....残念な感じでした。
「畏敬の念をもつ....」「畏敬の念をもつ....」なんとなくこのときの「自分自身を捧げつくす」感覚と通じるものがあるように思います。
少しずつ 持てるようになりたいです。畏敬の念。
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Edited by じゅんか 2018/12/07 12:03:25
Last Modified 2018/12/07 12:46:47