整体的子育て2 by たわふ
こういう事を言ってくれる人を待っていました。
「わたしはいろいろなところで「整体的な子育て」についてのお話をさせていただいているのですが、ふだんからなるべく「子ども同伴可」で講座をおこなうようにしています。(中略)
最初はそうやって子ども同伴で講座をおこなうことについて、いろいろ考えました。とても元気な子どもが来てワーッとはしゃいでわたしの話が聞こえなかったら、講座に来てくださる方々に申し訳ないな、とも思いました。でもやりはじめてみて、子どもたちが教室をウロウロしている中で勉強する意味というのが、すごく大事だなと改めて思ったのです。それはなぜかというと、子育てを実践するということは、そういう環境の中で実践してゆくということに他ならないからです。(中略)
勉強しようと思って講座に参加したならば、だれだってきちんと講師の話を聞きたいと思うものです。ですが、たとえば子どもが「ママー!」といってきたときに、「ママはいまあなたの手当ての勉強をしているんだから、あとにして!」では、やっぱり本末転倒なんですね。子どもみたいなイレギュラーなものがパッと関わってきたときに、そこにもきちんと気をかけ、対話ができるということ。じつはそういう振る舞いこそが「整体的な子育て」の実践に他ならないんですね。ちいさな声をどれだけ受け止められるか。声なき声をどれだけ拾えるか。そういうことが、体に対しても子どもに対しても大切な構えだと思うのです。」(第一講「子どものありのままをみつめる」P8〜P11より)
北海道に来る前、関西に住んでいたのですが、そこでヨメがシュタイナー教育にはまり、シュタイナー幼稚園を作る準備会の集まりで勉強会がありました。でも、子どもは別室で託児され、お母さん方は講座を受けています。夕方近くになると「ママまだー」となり、泣き出す子もいるわけです。私はそれを見ておかしくないか?と思いました。大人のための勉強ならしょうがないかもしれませんが、子ども(幼児)の教育や対応の仕方についての勉強会で、わざわざ生きた教材を別室において、座学で勉強って。子ども同伴で実施して、子どもがゴネだしたら、こういう時はこうしたらうまくいきますよって実例で示せばいいのに!と思ったものです。
確かに、シュタイナー教育の基本的部分(4つの気質とか7年周期とか)を分かっていないと理解できないこともあることは分かるのですが、実践から理論に入ってもいいのではないかと思うのです。理論部分は、興味を持った部分を各自で本なり聞いたりすればいいような気がします。(教師を目指すならしっかり理論部分も理解する必要があると思います。海外で教師向けの講座を受けた人が講師なので当然同じやり方でしか教えられないのはしょうがないとは思いますが。)
なんというか、子どものための勉強会で子ども同伴をさせないというのは、損得を重視して子どもをないがしろにしているというか、結局、子どもよりもお金や時間、効率が一番大事ということになる気がするのです。(現代の資本主義経済の中で生きていれば、どうしてもそういう考えになってしまう。というか、講座を受ける初めての方は資本主義的な考えなわけなのだから、クレームがついてしまうので仕方がないといえば仕方がない。)
「ちいさな声をどれだけ受け止められるか。声なき声をどれだけ拾えるか。」これはシュタイナー教育に限らず、一般の教育でも重要なことだと思います。ましてや幼児であれば言葉が未熟なのでさらに重要でしょう。ここはいつまでたっても難しいと思います。特に自分の子どもであれば、自分の嫌な部分をピンポイントで刺激してくるので、分かっていても出来ないことが多いでしょう。どんなに子どもが大きくなっても、子育ては親の自己教育。親が育てられていると思います。
私自身まだ、最初のさわりしか読んでいないのでどんな内容かは分かってませんが、難しい文章はないと思います。読んでいたらネタばれしそうになるので丁度よいのかも。と思ってましたが、ちょっと後ろの方を見てしまいました。第四講「子どもの自立を助けることばがけ」の「潜在意識に働きかけることばがけ」や「子どもの内面を見つめる認め方」や「ダメといわないことばがけ」や「子どもが空想しやすいことばを使う」を読んでみたらグサグサきた。(空想はシュタイナー教育でも独自の物語を作るなどで似た視点である)
この本は「整体的子育て」(こういう本を待っていた「整体的子育て」を参照。)の2冊目の本で、1冊目の時も、ほぼシュタイナー教育と同じ事を言っていると思い、絶賛してしまいました(勉強している人には物足りないかもしれないけど)。
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Edited by たわふ 2012/02/11 13:26:54
Last Modified 2012/02/11 14:56:42