冬のはじまり by たわふ
「大地の四季」で、それぞれの季節のはじまりが書いてあります。
「森の茂みや木々から、嵐が最後の葉を奪いとってしまう…。そんな雰囲気を十一月はもっています。秋の太陽の光で輝いていた霧は凝縮して雨に変わり、光もしだいに弱くなります。ミカエルの季節で取りあげた「灰」が、足元でかさかさと音を立てながら舞います。
なぜ十一月は、暮れようとする一年のなかでもっとも暗い月なのでしょうか?(中略)炎は夏のものでした。ちらちらする炎にくすぶる灰は秋のものでした。いまこの冷えきってしまった灰のなかから、新しい命を呼び覚ますものはまだ何もありません。(中略)
十一月とは基本的に、こうした焚火のあとのような灰色で生命のないものです。何かがもうすっかり終わってしまい、一見したところ新しいものもなければ、この救いのなさを変えてくれそうなわずかな希望もありません。
十一月の末、二十三日の聖クレメンスの日に、古い農民の知恵は冬の始まりを定めました。十二月の最初の日が来ると、灰色の驟雨が初雪に変わり、空はふたたび明るくなります。この週がさらに湿気ていたり、雪がおおければ、十一月の暗い霧は、灰を変化させようとする新たな侵入者を、もはや押し留められません。」(P81〜82より引用)
夏にはあんなに、茂っていた葉はすべて落ちてしまいました。(この写真よりさらに落ちてしまいました)夏は、葉のために、洞爺湖の真ん中にある島「中島」は道路からは見えないのですが、今は、道路からもよく見えます。(写真でも奥に微かに写ってはいますが分からないですね)
驟雨ってなんて読むのか分かりませんでした。漢字は苦手です。調べてみると、
「驟雨(しゅうう)は、短時間で降り止んでしまう雨、もしくは降水強度の変化が激しい雨のこと。にわか雨、通り雨とほぼ同義である。気象庁では、対流性の雲から降る雨を驟雨と定義している」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%9F%E9%9B%A8
まさしくそのような天気。昨日は雪だったけど、今日の昼間は暖かい晴れ。昨日が寒かったので最初スキーウェアーを着ていたのですが、子供はすぐに脱ぎ捨てて遊んでいました。今現在、夜は雨。明日の予報は雨から雪。明々後日の予報は暴風雪。本州のほうはどうなんでしょうか?
今日は、ほんのつかの間の晴れでした。今日は知人の有機農家の「畑じまい感謝の日」に参加しましたが、晴れてよかった。焼き芋焼いて、収穫した豆の脱穀や来年の畑のための肥料まきなどを手伝いを子供たちが喜んでしていました(私は1週間前からの腰痛で焼き芋の焚火の番でした)。晴れたおかげで外でお弁当が食べれました。
今の季節は、次の年の収穫のための準備する時期。季節は灰色かもしれないけど、その灰から実りあるものが生まれるために必要。
さらに本書より引用
「もうひとつの例は、冬が始まって十二日後、十二月四日の聖バーバラの日です。この日に実のなる木、野生の桜が最適ですが、その枝を折り取ると二十一日後のクリスマスに部屋の中で花を咲かせます。この日は全地球と、それに属する植物世界全体の生命活動にとって真の「転換日」なのです。同じことをすこし前か後にしても成功しません。」(P82より)
できれば、桜の枝を折って室内で咲かせてみたいが、そんな都合のいい桜があるかな?花を咲かせて「転換日」を目に見える形で見てみたいものだ。
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Edited by たわふ 2011/11/23 22:11:19
Last Modified 2011/11/23 22:14:05