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2010/08/27
子どもの成長を正確に把握するのは難しい by たわふ
子どもが三つになるまでに シュタイナー教育入門
子どもが三つになるまでに シュタイナー教育入門」は以前からあることは知っていましたが、あんまり読む気になれませんでした。シュタイナー教育入門って書いてあるから。(入門なら他にもたくさんあるからいいかなと思ってました)

でも、「不安げな子・寂しげな子・落ち着きのない子」の中に以下のような文章を見つけ、読みたくなりました。
「治療教育的観点から感覚論を基礎づけたパイオニア、カール・ケーニヒは、著書「子どもが3つになるまで」のなかでこう述べています。平衡感覚を手に入れたことによって、「頭が、光へ向けて持ち上げられる。そして、光と重力との対照性が、まっすぐに立つ姿勢の内に表される。この新しい出来事は、ルドルフ・シュタイナーが『自我』と呼んだ要素、人間にのみ認められ、他の被造物には認められない要素に関連している。自我は、どの子どもにも歩行能力という恩寵を与える」と。」(「不安げな子・寂しげな子・落ち着きのない子」P200より)

そして読みました。古くから出版されたものなので、いまさら、紹介するのもどうしたものかとも思いましたが、店長が「バーバラ先生もお奨めしていたよ」とも言っていたし、十二感覚を理解するためには、この本も必要であろうと思ったからです。(十二感覚の本はあまりたくさん出版されていません)

本書は、文章としてはとても読みやすいのですが、さらーっと読んでしまうと、理解できません。結構難解です。そんなに難しい専門用語も出て来ないのに、悔しいと思ってしまい、再度読みなおしました。(そのためにこの1週間以上停滞していました。)

「シュタイナー教育入門って、書いてあるけど、入門じゃないじゃん!」と心の中で思いましたが、内容的には、確かに、最初に知っていた方がいい内容であるとも思います。(専門用語も少ないし)

整体的子育て(P16)に「あかちゃんに対する「話しかけ」ということをとても大切にしています。」とあり(オムツを替えるときも話しかけてからしましょう。うちのヨメは黙ってしているときがある・・・)、言葉を理解する前でも(いや前だからこそ)、話すことの重要性が本書にも出てきます。(野口整体との共通性を見つけるのが面白い今日この頃)

三つの最高感覚(理解にかかわる感覚、社会的感覚とも言いますが)
 言語感覚、思考感覚、自我感覚
十二感覚の中で、わかりにくいけど、とても重要な感覚について、子どもが3つになるまでに、直立歩行、言葉、思考を獲得していくとともに、三つの最高感覚も獲得されていくことが説明されている。まさに、「三つ子の魂百まで」を説明している感じかもしれない。

本書の難解さの例として
「《触》覚と《視》覚が区別されねばならないように、《聞くこと》の感覚と《言葉をとり入れ》さらに《考えを把握する》感覚とが区別されねばならない。もし、思考感覚を認識できなければ、《思考を把握すること》と《思考活動》が別のものであることに気づくことは出来ない。そうなれば、まちがった心理学とまちがった知識論に到達してしまうことになる。このようなまちがいが起こるのは、ただひとつ、《言葉を取りこむ》器官と《思考を把握する》器官が、《聞く》器官である耳のように外から見えないからである。ところが、《聞く》ために耳があるように、このふたつの知覚活動の器官が実在する。」(P141より)
この文章の場合、思考という表現を細かく区別しないと訳がわからなくなる。思考活動は思考をすることだし、思考感覚は思考を把握することをきっちり区別しながら読まないとならない。(説明されても区別しにくい・・・)

本書を読んで、驚いたのが、ここの文章でも出てきているが、思考感覚と言語感覚にはちゃんとそれを知覚する器官が身体内に物理的に存在していることを説明していること。ネタバレになるので書かないけど、聴覚には耳があるように、思考感覚や言語感覚にも、知覚する器官がある。実際の器官がわかると、運動感覚と言語感覚、生命感覚と思考感覚という、十二感覚でなぜ対になるのかが分かるのではないかと思う。

いやはや、この本、まとめるのが難しい本で、全文を引用したくなるくらい、まとめるのが難しい。さすがカール・ケーニッヒというところだろうか。動物の本質を読んでも思ったのだが、やはり、本質が見えている人の文章は一味違う。シュタイナーの文章も何でここでこの例えが出てくるの?と一般的感覚ではこんなたとえでは意味が分からない、例え話をしたら普通理解しやすいのに余計混乱するような例を挙げることがある。しかし、そういうときには、逆に理解が深まる部分でもあるのでよくよく読み返す部分としてメモしておいて、全文を読んでから再度読むと、今までの理解が浅いものだと痛感する。(再度読んでも理解できないときもあるけど)

最後に、私としては面白い表現だと思うところを引用してみました。
「思考は、はじめから子どものなかで存在しています。存在してはたらいていますが、まだ、表れていないだけです。生後二年間は肉体が感じる知覚や感情が子どもを独占していて、思考はまだ奥深く潜んでいます。一〜二歳までの、もの心つかないころの体験は、いばらの垣根のようなもので、その垣根の奥の頭脳というお城のなかでは、思考が眠っています。
(中略)
 眠りの森の美女のように思考は王子様のキスでめざめます。どの子も二歳〜三歳でこれを体験していますが、思考のめざめというのは、人間の魂に起こるできごとのなかでも最も神秘的なものと言えましょう。成長しつつある子ども自身の自己が、日常の体験といういばらの垣根をつき破って、まどろんでいる思考をめざめさせます。自己と思考がお互いの顔を見つめあった瞬間に自我意識がはじめて生まれます」(P119より)

   

Edited by たわふ 2010/08/27 02:10:53
Last Modified 2010/08/28 19:38:40

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